株式会社山陽

 

NOTE

革の聖地「姫路」

少し前から「聖地巡礼」という言葉を耳にすることが多くなりました。

文学作品や映画、アニメーションなどの舞台・由来となった土地を巡ってみようという意味で使われるようになったのですが、好きな作品が生み出されるきっかけとなった場所を訪れて、さらに身近に感じるというのは楽しい体験です。

私たちが作っている「革」についても、「聖地」と呼ばれるにふさわしい場所が全国に幾つかあります。
当社がある兵庫県姫路市も1000年以上の製革の歴史を持ち、「革の聖地」と言えるようなところです。

今回はそんなお話をしてみたいと思います。

日本での革生産の始まり

日本で古くから生産されていた革は、現在私たちが使用しているようなものではなく、「甲州印伝(こうしゅういんでん)に用いられる脳漿鞣(のうしょうなめし)<鹿革>」と「姫路白鞣革(ひめじしろなめし)」という伝統的な製法で作られる革だったようです。

この「姫路白鞣革」は、その名のとおり姫路市で生み出され作り上げられた革です。

姫路白鞣革は、平安時代末期(905年頃)に出された延喜式という法典に、その記述があり1000年以上前から生産されていたことがわかっています。また姫路市の中でも最も革生産が盛んだったのが「高木地区」という地域で、当社もこの地区にあります。

高木地区で皮革生産が盛んになった要因には、①穏やかな流水と広い河原をもつ「市川」という川があった ②西日本では原料となる牛皮の調達が容易だった ③比較的温暖で雨も少ない土地だった ④革の生産に必要な塩の入手が容易だった ⑤大阪・京都などの消費の中心地に近かった などがあると言われています。

姫路で生産された革は、その後も、室町時代~江戸時代の中で馬具・武具の材料として広く使用され、江戸中期以降は、文箱や袋物のような革細工物も全国に流通していきました。

この時期から、まさに日本の製革の中心地だったのです。

近代の革生産の開始

明治時代に入って日本全体の近代化が進む中で、製革技法についても西洋式の革なめし技術(タンニンなめし・クロムなめし※)が導入されるようになりました。特に軍需用として「強く、柔らかさを持つ革」が大量に必要となってきたのです。
姫路市にも明治38年(1905年)にロシア式製革(タンニンなめし)の技術が導入され、その生産を行うために「姫路製革所」が設立されました。その後、クロムなめしによる製革技術も伝わり、一気に姫路での製革技術の近代化が進みました。
現在、日本の成牛革生産の約7割は、兵庫県で行われており姫路市とたつの市の製革業者(タンナー)が大部分を担っています。また姫路市には約100社の製革関連企業があります。そのうち6割が高木地区にあり、市川の川沿いには製革業者(タンナー)がずらりと立ち並でいます。
そして、日本の製革業の近代化を進めるために設立された「姫路製革所」こそが、私たち株式会社 山陽の前身となった会社です。

次回からは、姫路製革所から始まった当社の成り立ちをご紹介していきたいと思います。

※タンニンなめし・クロムなめし については、こちらの記事もご覧ください。

<参考文献:兵庫県皮革産業協同組合連合会『創立15周年記念誌 兵庫県皮革産業の歩み』(平成8年発行)、武本 力『日本の皮革-その近代化と先覚者と-』(昭和44年発行)>

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